子供の頃から本の虫。毎月一冊買ってもらうハードカバーの全集が楽しみでした。
高校の頃、なにげに読んだ三国志のおもしろさにはまり、大学では東洋史を専攻。
発掘のアルバイトにも情熱を燃やした、歴史好きのオタク系女子でした。卒業する頃 目の前で空前のバブルがパチンとはじけ、就職難。某病院になんとか就職し、そこで12年の長きを過ごすも、体力の限界を感じて退職。その後、就職活動と職業訓練という名の人生の夏休みを過ごした後、マコセと出会い今日に至る。四十過ぎで結婚し、高齢出産を経験。様々な悩みはあるも、家族がいて、やり甲斐ある仕事があることに〝幸せだなぁー〟と加山雄三のようにつぶやくアラフィフです。
尊敬して止まない幕末の偉人、坂本龍馬と同じ誕生日の生まれ。
前職は一般事務と言いつつも資材発注や配達、金属加工の簡単なCAD図面作成もこなしていた。学生の頃から得意とする日本史の知識が地味に役立っているこの職場。家紋を探し出すのが異様に早いと、本人の知らないところでは『家紋の鬼』の異名で呼ばれているらしい。嘘のような本当の話。
取材は一度きり。『一期一会』の精神で電話の向こう側から聞こえてくる声や音にじっと耳を澄ませる。もらい泣きすることくらい、いいじゃないか人間だもの。私生活では旅好きで、一人旅もまた楽し。日本酒の蔵やワイナリー巡りをしたくて、テレビの旅番組を見ながらうずうずしている。
生まれも育ちも鹿児島。
祖母が近くに住んでいたため、幼い頃から『鹿児島弁』が身近にあった。そのためか、花屋でのバイト時代にはお客様のなかでも祖父母と同世代くらいの方達と話が弾むことが多かった。母の骨折を機に正社員での就職を目指す。
マコセにめぐり会い、自分に文章が書けるだろうかと模索しながらの日々を送るものの『絵本好き』を武器に奮闘する。この仕事から学んだのは、家族や周りとの絆がいかに人生の宝となるのかということ。
現在、大切にしているのは先輩から教わった極意。聞きたいことを聞くのではなく、話したいことを引き出す力を身に付けること。春夏秋冬問わず、様々な花を見に出かけるのが大好き。
接客販売・製造・事務と、様々な職を転々とすること十数年。職業訓練校と実地研修で学んだ簿記の知識を活かすべく募集に手を挙げたが、蓋を開けて目が点、「見たことありますか?」と差し出されたのは一篇の物語のような文章たち…これが会葬礼状との出会いだった。面接後なかなか合否の連絡を頂けず業を煮やして自ら電話をかけ、こぎ着けた一日体験入社、その帰り道に採用の一報を頂いてから実に九年。『これまで生きてきた中で”今”が一番良い』を更新しつつ現在育児にも奮闘中。無償の愛とは親が与えるのではなく子から与えられるものなのだと感じる一方で、身体を見習って心も丸くならないかな…と遠くを見つめる毎日。横になって三秒、気絶するように寝落ちするのをどうにかしたい。
旅行代理店での高校留学サポート経験を経て、広告代理店へ。これといった資格もなく一般事務の募集を見て面接を受けたところ、文章作成の仕事だと知らされ、いささか取り乱す。しかし当時30代前半。新たなことに挑戦する機会も今後そう多くはないとご縁に飛びつく。入社当初は先輩方の素敵な文章に挫折の連続。しかし喪家様に喜んで頂けたことが何よりの成功体験となって今日に至る。日々心がけていることは、自我を出さず黒子に徹すること。お話しくださった方のお声や雰囲気に合った言葉を選び、その方らしい表現や構成を模索。趣味は食べること、始めたいのはダイエット。前者の欲求が後者を圧倒している現状ながら一縷の望みは捨てていない。
以前は法律事務所で働く。
刑事事件では事件現場の衝撃的な証拠写真、破産に至るまでの人生劇、探偵事務所から送られてくる不倫現場の証拠写真などを目の当たりにし「”人生色々”とはよく言ったものだ」と驚きの連続。
また、自由奔放なボスに振り回されてきたので多少のことでは動じません。
3年前から母親という肩書きが加わる。「女たるや白馬の王子様を待つのではなく、自分の人生をしっかり歩んで欲しい」と願い、2人の娘達の手本の女性となれるよう仕事に励む日々。…とは言いつつ、夫の支えなしに働くことは出来ないと痛感。笑顔と感謝の気持ちを忘れず生きるのが人生の目標。
いつか夫婦でミコノス島に行きたいな~と勝手に思っています。
大学で日本語教育を専攻。
某テレビ局の契約社員を経て日本語教師となり韓国へ。日本語言語民教師として高校に勤務。外国人としての自分、外国語としての日本語、すべてが新鮮で楽しく、ここで一生を送ってもよいと考えていたが、私のことばかり心配している祖母の気持ちをむげに出来ず数年後 帰国。しっかりと生計を立てられる仕事を探すも苦戦を強いられる。そんな中 運命の糸に引き寄せられて礼状づくりの道へ。
壁にぶつかり涙の毎日だったものの、1つ1つ乗りこえて今に至る。祖母の死、結婚、出産を経験し、礼状に対する気持ちが変わった。もっと「心の奥にある想い」をくみ取りたいと取材を大切にする毎日。いつの日か定年を迎えたら、シニアボランティアとして海外で働きたい。
デスクワーク歴が長いことから、弊社の事務職に応募。面接で「母親が死んだと仮定して会葬礼状を書いてみて」と言われ、面食らう。
アルバイトも含めれば、犯罪系以外の職種はたいてい経験済みだと自負していたが、文章作成は初めて。加えてillustratorなるソフトの扱いも初めてで、入社以来、先輩方には随分ご指導いただいた。
その恩返しも兼ねて、弊社業務に必須の“台紙”の整理が自分の仕事だと、いつの頃からか勝手に決めている。
気持ちが高じて私生活でも片付けがマイブーム。本も、人間6人分の体積くらいは捨てた。
その爽快感と罪悪感から読書もマイブーム。電子書籍に興味があるが、情報の波に翻弄われて入手には至らず。
前職では総務・経理をしていたが、ルーチンワークが向かないことを痛感し、40代でマコセに転職。まさか採用されると思っていなかったのでとても嬉しかった。心がけているのは傾聴の姿勢。”心に寄り添う”を通り越し、同調しすぎて嗚咽しながら話を聞くことも多い。良い取材が良い文章を生み出すと信じて、聞き役に徹するようにしている。
堤と名乗ってわかっていただけなくても、マツケンというと思い出していただける。
これもある意味個性だろうと開き直っている。趣味はオンラインゲーム。
他県に住む息子と一緒に仮想空間で冒険する時間が息抜きになっている。現在子離れの準備中。数日前から始めたジム通いを通して新しい友人を作りたいと思っている。
大の雑誌好きながら、自分は読む専門だと思っていたのに、気付けば編集者に。担当はブライダル専門誌で、企画・営業・執筆・デザイン打ち合わせ・イベント運営まで、何でも屋のような仕事を7年経験。そこで学んだのは、結婚式という節目を大切にする中で、家族や周りの人との心のつながりが強くなるということでした。
葬儀の世界も人生の節目に携わらせて頂くという意味では同じ。礼状作成を通してご遺族様が自分を見つめ直すきっかけを作り、未来へ進むお手伝いをしたい!というのが、モットーです。
今注目しているのは、テレ東系『孤独のグルメ』『さぼリーマン甘太朗』や、いぶし銀の演技が光る『バイプレーヤーズ』など攻めてるドラマシリーズ。
住宅会社にて戸建ての営業をするも、インドア派なので事務仕事の方が性に合っていると気づく。
退職後 寿司屋でアルバイトをしたり職業訓練に通いながら就職活動をし、マコセに出会う。
最初の印象は「すごくオシャレな会社、なんか月9みた~い」動機は不純でミーハーだけど、やる気は十二分。ご遺族様が泣いて笑ってくださるような、温かいお礼状を作ることが目標です。休日は家でごろごろ、たまに旅行、そして夢は大きく世界一周。
取材でご遺族様から旅行の話を聞いて、プチトリップするのがささやかな楽しみです。
自分の人生を振り返った時、「悔いは無い」と笑って言えるよう、オンオフをしっかりとつけて日々生きています。
夢かなえ司書となり、短大図書館で6年、中高一貫校で1年勤務。結婚、出産のため泣く泣く退職。2人目を出産後、小学校の司書として再び働き、喜びの毎日を送る。
3人目の出産でまた退職。少し落ち着いた頃、ママ友の紹介により葬儀社でパート勤務。葬儀が大切な方を弔うもの、故人が生きた証であり、ご遺族の心を癒やす場でもあることを身を以て体験する。紆余曲折あり、「食い扶持を稼がねば」と決意してマコセに履歴書を送り、奇跡的に採用。
想いを伝える難しさを日々感じている。悩み、落ち込む私を支え、元気の源となっているのが愛しい娘達。
そして大好きな温泉でリフレッシュして、またパソコンの前で悪戦苦闘…いえ善戦健闘?している。
大学卒業後、販売職を経てこの会社と出会う。
取り立てて読書好きではないが、活字に自然と目が行く体質、そして日記を書く事が長年の習慣だったという下地の上に「やりがい」が乗っかって、この仕事を続けることができている。
ごてごてと飾るのは苦手で「シンプルで、心にすっとしみる文章」が理想。その人らしい言葉を探すように心がけているが、7年目の今でも目標にはほど遠い。
たまに弾丸一人旅をする。昨年東京に行った時は1泊2日で7人の友人と会った。
ストレス解消はひとりカラオケ(アニソン縛り)と年に数度のライブ参戦。
色々と行くが、YUKIちゃんのライブだけは別格。ジュディマリの頃から神様だと思っている。意外と言われるがけっこうオタク。
3年間ブライダル業界に身を置き、年間120組以上の新郎新婦の衣裳を担当。
“四六時中ぶりっこ”とも言われる愛想のよさと、THE A型の几帳面な仕事ぶりで花嫁さん達の心を掴み、ちゃっかり売り上げをのばすタイプでした。20代半ばの頃、地元鹿児島に帰りたいとUターン転職。
現在は常に誠実であることをモットーに、会葬礼状を書いています。どんなに忙しくても絶対に手を抜かない、その真面目さには自信あり!
しんどい時こそ笑顔でいるようにしています。
休日は普段の朝寝坊が嘘のように早起きし、早朝から迷惑なほどハイテンション。
誘われれば すぐに家を出るフットワークの軽さから、ある後輩には「井手さん足速い」と言われています。
生まれた時は3000㌘越え。かつて一度も痩せたことはない。
母のお腹の中にいる時からアイス!アイス!と求めていたほどアイスが大好き、食べることが好き。〝手に職を持て〟という母の教えにより中学で栄養士を志す。しかし間違いだった。
料理は得意だが栄養管理はもっぱら苦手。今の私そのものが、完全に結果にコミットされているわけである。信じ難いかもしれないが、こんな私でも水に浮くのは何より得意。水泳は3歳からしていた。自分の手料理で誰かを笑顔にした時が無性に嬉しいように、ライターとして誰かの心の中に小さいな灯火をつけることが出来たら 最高の幸せ。文章を書くことは『大』がつくほど苦手な私が、これまでの人生の中で一番好き!と言える初めての仕事なのだ。
某国立大学卒業後、実家の手伝いをしつつ自分探しへ。その間に参列した葬儀で配られていた会葬礼状を読み、この仕事に興味を持つ。今は二児の母として子育てに奮闘しつつ、日々仕事に取り組んでいる。仕事の時間は仕事に集中、子供との時間は仕事を忘れて思いっきり遊ぶがモットー。
作業の効率化をはかるためにも手を動かす前に必ずその後の段取りを組むようにしている。文章を作る際に念頭に置いているのは「同じ人生はひとつとして存在しない。だから出来る文章も自ずと違ってくるはず」ということ。その人に合った文章を作るため、表現への挑戦を忘れない。
また色々な作品に触れるのが大事だと、暇さえあれば本や漫画(主に漫画)を読みあさっている。
鹿児島生まれだが、心と体を育んでくれた地は加えて福岡、大阪、沖縄。
これまでの職場は居酒屋、カラオケ、ゴルフ練習場、証券会社、住宅設備メーカーと様々。
型にはまらない生き方が好き、そして手紙を書くのが好き、そんな私にとってオリジナル会葬礼状を作る仕事に出会えたのは運命だった。
お礼状を作る時に大切にしているのは、相手の心の温度を大切にすること。電話越しに受け取った言葉や感情を心に刻み、そのご家族の一員になったつもりで作成する日々。パワーの源はお酒。
最近はリモンチェッロとスパークリングワインと小洒落た感じがお気に入り。
ただ年々飲めなくなっているのが悩み…涙。
高校3年生の時、父が他界。大学1年生の時、母が他界。立て続けにおきた両親との別れ。今でも もっとやれることがあったのではないかと後悔することがあります。
どうしようもなく声が聞きたくなることもあります。夢に両親が出てくると、心が沈んでしまいます。それが”夢”だと気づき、現実なのだと思い知らされるからです。
何年経っても消えない、寂しさ…。それでも 両親との別れは私を強くしてくれました。今 こうしてマコセで働いているのも、運命なのだと思います。
ひとり ひとり違う状況、違う環境ですが、大切な人を失ったことは同じです。あの頃の自分に声をかけるつもりで、自分の家族だと思って話を聞くことを信念としてこれからも 一層励んで参ります。
「めずらしい名字」と言われます。けれども父の故郷は、鹿児島県の南のほうのとある田舎町で、その名も「まかや町」…まかやさんがたくさん住んでいます。ホテルで四年ほど勤務し、マコセへ来ました。ホテルはお客様の喜びに立ち会う場所、こちらでは、日々、皆様の悲しみに向き合っています。
どちらもたった一度きり、人生の大切な節目であることは変わらないなあ、終わってから「いい旅行だった」「いい式だった」そう振り返るのが理想だなと感じます。文章作りでは、喪家様らしさと読みやすさを大切に。スピードも意識して。休日は母とカフェ巡り、読書、アニメ…。
いつか、JR九州の豪華寝台列車「ななつ星」に乗るのが夢です。
「花は霧島~煙草は国分~」で有名な霧島市出身。小学校教諭を1年つとめた後、マコセのHPを見て感動し、入社。元々 人と話すことが好きということもあり、どんどん仕事に引き込まれるように。
ご遺族に「思いがけず沢山話してしまった!」と思って頂けるような取材をモットーに、落ち着いた声のトーンで共感を示すことによって、より話しやすい状況を作り出すよう心がけている。手に取った方が故人様を偲び、ホロリと泣いてそして最後は笑顔になれるような文章作成を目指している。「あなたに書いてもらいたい!」と言われるライターになることが今の目標。よく言われるのは「珍しい苗字ですね」と「いい声ですね」。あまりメジャーではない観光地巡りをしたいと秘かに検討中。
優しい父母のもと、生粋の鹿児島人としてぬくぬくと育つ。長く勤めた農協を退職してからは、NPO法人、役場の臨時職員などをふらふらする。海岸で松ぼっくりを並べていた。数年前、一番の支えだった母が他界。葬儀の際に会館の方からすすめられ、オリジナル会葬礼状を依頼することになった。確認用に送られてきた原稿を見て感動。「お母さん、こういう人だったよね」と何度も見返しては涙ぐむ。この一件が今の仕事を知るきっかけになった。あの時の気持ちを忘れずに、故人様との思い出を振り返ることができるお礼状を作りたい。…とは思っていてもなかなか上手くいかない毎日。皆さんに追いつきたい。昔飼っていたうさぎを偲びつつ、エアなでなでするのが癒やし。
鹿児島生まれ鹿児島育ち。鹿児島大学法文学部卒業。学生時代は4年間ジョリーパスタのホールスタッフとしてアルバイト経験あり。”常に笑顔”が売りで、お客様に孫にしたいと言われたことも。文章を書くのは得意ではないが、多くの方と繋がりを築けるマコセの仕事に惹かれて入社。私はとても単純なので「ありがとう」と言われるだけでどこまでも頑張れる。素敵なお話を沢山聞かせて頂き、温かなお礼状づくりに日々励んでいる。小2から皆勤賞を続けるほど健康な身体が何よりの自慢。特に意識はしていないが、よく食べてよく寝てよく笑う!これが大事だと思う。実は車で日本一周するのが夢。今のところ家族で交代しながら運転をし、鹿児島から福島まで行ったのが最高記録。これからも更新し続けたい。
10年間幼稚園教育に携わり、藤井四段も受けていたという『モンテッソーリ教育』を通して日々子ども達と“楽しく、元気に、明るく”過ごす。新しい世界を見てみたいと転職を決意し、畑違いの仕事ではあるが「寄り添う」のは、子ども達もご遺族も同じだということに気付かされた。
「どんなに辛くても逃げださない」をモットーに、真摯にご遺族と向き合い、喜んでいただける文章を書けるようになりたいと日々精進中。
結婚出産が「女の幸せ」ではないと思うが、やはり王道の幸せを夢みる乙女でいたいので、2019年までには結婚したい!そしていつの日か、マイマンションで愛する家族とペットと暮らすのが夢。
幼い頃に読んだ「スーホの白い馬」という絵本がきっかけで“馬でモンゴルの草原を走りたい”という夢を持つ。大学では馬術部に入り、選んだ卒論テーマはモンゴル経済。水道も電気もない遊牧民の暮らしを経験し、念願の“草原を馬で疾走”も果たす。
卒業後は生保の営業や数社での事務職を経て、マコセへ。会葬礼状は会葬者へお渡しする挨拶状であると同時に、残された人から亡くなった方への手紙のような気がする…そう考えた時、手紙を貰うのも出すのも好きな私にも挑戦できるかもしれないと思い入社を決意。忘れられないのはご遺族様から「素敵な文章をありがとう。またこんな機会があったら(ない方がいいけれど)あなたにお願いしたい」とお礼の電話を頂いたこと。涙が止まらなかった。
小学校教員を目指し、大学在学中から家庭教師を始める。主に指導していたのは小・中学生。教えるよりも、一緒に悩んで解決することを目指していた。
教師とは違う仕事に就いてみたいと、人生について模索していた時期に出会ったのがこの会社。今なお手探りながらも、「ご遺族様自身が書かれた」ような文章をモットーに、仕事に励んでいる。
好きなものへの思いは一途で、時間を忘れて熱く語る。愛を注いでいるのはゲームで、最近のお気に入りはファイアーエムブレムシリーズ。
物語を彩るゲーム音楽にも夢中。
休日に家でごろごろするのが大好き。
でも声をかけられたら、喜んで出かける。
料理が「食べる専門」なのでいつか上手になりたいと思っている。
日本史を学ぼうと短大から大学に編入し、卒業後は非常勤職員で歴史資料の編纂業務に携わる。系図を眺めるのが好き。晩年は孫を見守りながらのんびり歴史小説を書いて過ごすのが目標。しかし独身のため 現在恋人募集中。夢は遠い。5年働いた後、短大時代の友人の紹介でマコセに入社。新人と呼ばれなくなった現在でもまだまだ勉強不足を痛感しているが、「取材で聞けなかったご遺族の思いを汲み取る」を信条に日々新しい気持ちでお礼状作りに励んでいる。「出来ませんではなく」と「頑張ります!」と返事をするように心がけているものの、周りには助けられてばかり…。インドア派で、好きなものはゲームと漫画。食べたいという欲求と闘いながら、5キロ減を目指している。
しかし私は日本人。どうしてもお米の誘惑に勝てない。
数学教師の娘に生まれるも、大の数字ギライ。
算数、数学、理科、化学…etc
理系教科は、おそらく全て赤点経験者!
在学中は、特別支援学校の教員を目指すも卒業目前、当時のゼミ担から在籍していた大学への就職を紹介されあっさり方向転換。以来8年間、大学や高校の事務職として窓口のお姉さん?的時代を過ごす。三十路を機に、新しいことに挑戦しよう!と一念発起。半年間の職業訓練を経て、マコセに入社!
モットーは“寄り添う”気持ちだけでなく、言葉や ちょっとした間で、ぐっと寄り添う。
いろんな意味で「いい!」と感じて頂けるお礼状を届けられるよう出会いを大切に、日々精進中です。
趣味は山登り。手先がわりと器用で折り紙や工作は得意。
単位の数え間違いで大学卒業が1年遅れ、人生の旅人に。某病院に入職し介護と事務を経験。そこで思ったのは「人と話すのが好き」ということ。
しかし“ココジャナイ感”を持ち続けた末に退職。マコセへ入社。
沢山失敗して沢山怒られ泣いたりもしたが、最高の先輩や同期に恵まれ今では“ココジャナイト感”でいっぱい。居酒屋や飲食店でのアルバイト等 サービス業一本だったので、「お客様に喜んでほしい!」の気持ちは大きい。この仕事は好きだが、礼状の取材で結婚への理想が高まり過ぎるのはデメリットと言えようか。実は皆で定時退社、皆で楽しく仕事!が目標である。
私生活ではダイエットがしょっちゅう始まるが、終わったことはない。毎日ご飯が美味しい。
通知表には必ず〝マイペース〟と書かれていたほど、子どもの頃から何をするにも、のんびり、ゆっくり。食べるのも遅く、小学生の頃は居残り給食の常連。昼休みでは時間が足りず、放課後〝これは夜ごはん〟と言い聞かせて完食する日々を送る。時間はかかるかもしれないが、他人にできて自分にできないことはないと学ぶ。粘り強さを武器にマコセへ入社。てきぱきと仕事をこなす先輩方に憧れを抱き、人生で初めて急ぐ毎日。そのぶん休日は自分のペースでのんびり、ゆっくり過ごす。とにかく家が大好きで、一歩も外に出ないことも。お礼状作りというやりがいのある仕事に出会えたおかげで、ただの引きこもりならずにすんだと、働ける幸せをかみしめている。
極度の人見知りと群れない質が災いし、職にあぶれて大学卒業。
実家の警備をひたすら続けること3ヶ月、いよいよ仕事を探そうと最初に出逢った会社がマコセ。お礼状?取材?文章作成?何じゃそりゃ!の面接を経て、確信したのは不合格。ただ、心のどこかでこの仕事の魅力を感じていたからこそ、合格だった時は嬉しかった。面接で抱いた好意は確信に変わり、今もずっと惚れたまま。
出逢いは人を変えるから、亡くなられた方のこれまでとご家族のこれからが「お礼状」という形でひとつになればいいなと思って今日も書き続けています。プライベートは一人遊びが流行中。予想通りですか?レベルはプロ級なので弟子募集中です。
短大では日本語日本文学を専攻するも、実は大の古文嫌い。
ある日教授から「面白そうな会社がある」と勧められ、履歴書を送ったことがきっかけだった。何よりも“自由な社風”に惹かれたことをよく覚えている。
学生時代のアルバイトは接客業を率先して選ぶほど大好きだった為パソコンに向き合う日々に不安はあったものの、先輩方の素敵な文章を読んで「絶対にここに入社するんだ」と誓い、今にいたる。
私が作った一枚がご遺族にとっての「宝物」のような大きな存在になれたらいいなと思いつつ、一文一文に魂を込めるつもりで作成している。
息抜きは買い物。有り余るほどのお金を手にして何も気にせず買い物をしまくるのが夢。
ドラマ「ショムニ」を見て、オフィスをハイヒールで颯爽と歩くOLさんに憧れる小学生時代を過ごす。短大では経営情報を専攻、いざ就活というときにリーマンショックのあおりを受け挫折を経験した。なかなか職が決まらない中、ハローワークで紹介されたのが地元の葬儀社。
忙しい現場で何とかやっていけたのは、先輩方のサポートとご遺族様からの「ありがとう」の言葉があったから。「人生いろいろあるんだな…」を身をもって感じた七年間。
葬儀に携わる中でマコセのお礼状に触れる機会が多くなり、紆余曲折を経て現在に至る。「ご遺族に寄り添う」をモットーに受話器を握り、耳を傾ける毎日。
大切な人が傍にいる喜びを噛みしめて仕事に励む。
”おんせん県”出身。大学進学を機に鹿児島へ。出身学部を言うと理系のように思われがちだが、実は理系科目は大の苦手で、本が好きな自称文系。卒業後は病院に就職。
九州圏内を転々とするが、鹿児島が恋しくなり職探しを始める。そんな中で出会ったのがマコセのお仕事。「こんな仕事があるのか」と強く興味を持ち、新しい世界へ飛び込む。恥ずかしながら、お礼状のことも転職活動をきっかけに知った私。
お礼状を作るにあたり、前職から心がけている「傾聴」と「その人らしさ」を大切にしていきたいと改めて思う。
誰かと過ごすのも、ひとり遊びも大好き。笑顔がステキな女性になりたいと思いながら毎日を過ごす。
西郷隆盛と同じ12月7日生まれ。学生時代は東洋史を専攻していたが、漢文を読むのが大の苦手。大学卒業後は眼科クリニックに就職するも、月初めの膨大な量のレセプト点検に耐えられず1年半で退職。もっと自分ならではの仕事がしてみたいと、マコセを志望。まさか採用だとは思っていなかったので、入社してからは毎日がドキドキ。
「ご遺族様の思いをそのまま言葉に表現できるように」をモットーに文章と向き合う日々はとても充実しています。
日々の癒やしはアイドル。AKBからはじまり、新しくグループができるたびに推しメンを変更し続け、現在は欅坂46を応援。
いつか握手会に行くのが夢だが、「休日は外に出たら負け」と思っているほどのインドア派。
学生時代は登下校中も本を読むほどの活字中毒。少しでも本に携わっていたいと始めた本屋のバイトでは、大好きな恩田陸と江國香織の小説が入荷されると客より早く購入していた。にもかかわらず、全く関係のない健康食品の会社に就職。仕事をしていく中で、やはり文章を読んだり書いたりするのが性に合うのだと再認識。「ここだ!」と運命を感じてマコセに入社するも、自身の語彙力と文章構成力の乏しさに絶望する毎日。と同時に限られた文字数でその人らしさを表現できるこの仕事にやり甲斐を感じる。「こんな人だったね」とご遺族が故人様と過ごした日々を思い出すきっかけになるような文章を作ることが今の目標。一つ次元の違うアイドルを追いかけて早数年…彼らが地上波の音楽番組に出演するその日まで応援し続けます!
文章を書くことよりも、計算したり図形を見たりすることが好きだった学生時代。
そしていつしか
「数学の先生になりたい」という夢を持ち、教育学部へ進学。卒業後は一度塾に就職するも、「夜より昼働きたいからやっぱり一般事務」という思いを胸にマコセに入社。入社してみたら一般事務ではなく、さらに文章を書くのはやはり得意ではなかったけれど、良い仲間に出会えたこの会社、そして何よりこの仕事が大好きです。
特におしゃべり好きな私にとって取材の時間は魅力的でした。故人様の思い出の地や職業、趣味などなどご家族から伺ったことで得た知識は財産です。
2017年8月長女を出産。現在は初めての育児奮闘中。母、妻、そして仕事の両立を目指します。
母体内で心音が止まったアクシデントを乗り越え、11月22日、ケネディ大統領が暗殺された日に無事誕生。やりたいことも夢もないまま大学に行き、体育2のくせにスポーツクラブに勤め、数年を過ごす。
コンビニやツ○ヤも経営している会社内のコンテストで一位をとり表彰されたのはささやかな自慢。やがて一般事務と信じて面接を受けマコセに入社。冠婚に進むつもりが葬祭に…と思ったのはもう7年前で、いろいろなことがありました。好きなものは牛肉と米と酒。お礼状をお届けしながら、グリーフ番長として、大切な人を亡くされた方にはもちろん、葬儀社の方、すべての人にグリーフって身近なものなんだと知ってもらうべく目下奮闘中。最近大きな夢を見つけました。
小学一年生から高校三年生までは陸上競技に没頭。出来る限り風の抵抗を無くそうと髪はベリーショートに。顔も濃く、髪も短いことから男の子に間違われることは日常茶飯事。女子トイレに入って見知らぬおばちゃんに怒られたことも、今となってはいい思い出。大学生こそは、と女子大へ。大学で心理学を学び人間の奥深さを知る。
そんななか大学三年生でマコセと出逢い、他の会社にはない魅力に一目惚れ。初めて見るオリジナル会葬礼状に涙したことを今も忘れない。
あれから一年半。今も尚、マコセへの想いは変わらない。新人として、これから先輩方からたくさんのことを見て、聞いて学び、ご遺族の心の拠り所となれるよう頑張りたい。
思えば、幼い頃から何一つ人より先に出来たことがない。かけ算も かけっこも、水泳、なわ跳び、とび箱…勉強やスポーツに限らず“周りは普通に出来るのに自分だけ出来ない”そういう場面ばかりだった。私は要領が悪いのだろう。
30歳を超えた今でもよくそういう場面に出くわす。けれど私は今、苦手だと思うものは一つもない。子供の頃は、出来ないことにぶつかるたびに 夜な夜な親と一緒に公園や駐車場に行き 出来るまで練習をした。神様は私に「要領のよさ」はくれなかったけれど、それを乗り越える「根性」をくれたのだと思う。時間がかかっても、人より苦労をした分だけ、出来ない人の気持ちに寄り添える、努力したもの全てが次への糧になる、そう信じてこれからもどんなことに対しても「頑張って」歩んでいきたい。
医療事務の仕事を約6年続けるも、「一般事務も経験してみたい」という気持ちが芽生え転職を決意。〝一般事務〟で求人が出ていたマコセの門を叩く。が、いざ面接で話を聞いてみると想像していた一般事務となんだか様子が違う。
「あれ?」と思っているところに見せたもらったのが、オリジナル会葬礼状。驚きの出会いから、現在に至る。この仕事で最も大事にしているのは聞く姿勢。「この人(故人)について知りたい」という思いや、丁寧な聞き取りがご遺族の心に寄り添う一歩に繋がると信じている。
マコセはアクティブ女子が多く、素敵な仲間に誘ってもらって様々なアクティビティに参加。今年の大きな挑戦は、社員旅行でのスカイダイビング。新たな経験から得た感動を、仕事に活かしたい。
与論島育ちの島人。綺麗な海とサトウキビ畑、沢山の牛と地域の人たちに見守られながらすくすく育った。ちなみに、入社式の時に渡されたパーカーのサイズはS。短大進学を機に島を離れて鹿児島へ。海の色に悲鳴を上げた。
高校時代は生徒会、バスケ部、美術部、演劇部に励んだ。行事ごとのスライドショーや体育祭の応援パネル作成、卒業式での挨拶など、沢山の経験をさせてもらい、この経験がマコセへの入り口となった。
また、姉の勧めもあり、会社説明会に参加し衝撃を受けた。相手に寄り添い、言葉を紡ぐこの仕事に心惹かれた、読んだ人の心が温かいもので満たされるような文章を書けるように、スポンジのような吸収力で頑張りたい。
県外の大学を卒業後、地元に戻って金融機関に就職。
新卒で採用してもらったことに感謝しつつも、好きなことを極めることで、人の役に立てる仕事に就きたいと思うようになる。後悔はしないと決めて、約2年で退職。
好きなことは、読書。目がチカチカしてくることは辛いが、続きが気になると一気に読んでしまう。本も読みつつ、多くの方との出会いも大切にし、これから成長していきたいと思っている。それぞれの人生に大きく影響を与える、大切な人との別れ。電話越しに聞こえる遺族の声によく耳を澄まし、真っ暗なトンネルの遠い先に見えるあたたかな光のような、辛いときに前を向いて歩いていくきっかけとなれる会葬礼状を作成したい。
鹿児島生まれの鹿児島育ち。のどかな田舎で育ちました。
何気なく見ていたSNSでマコセを知り、仕事内容に感銘を受ける。
その後就職試験をうけ、縁あって入社。
不器用で抜けているところもあるが、学ぶ意欲の高さは人一倍。
これからも学び続け、ご遺族様や故人様の想いをカタチにできるよう、成長していきたいです。
趣味は美術館巡り。最近は四国の美術館をまわりました。
いつかパリの美術館に行くことと、徒歩通勤を夢見て生きています。
大学では日本文学部に在籍。在学中に訪れた夏目漱石展で、書籍の余白にびっしりと書き込まれた漱石の文字に圧倒され、その後近現代文学を専攻する。しかし情熱は長くは続かず、勉学そっちのけで大学陸上の応援に傾倒。寝ても覚めても陸上観戦のことばかり考える頭で何とか書き上げた卒論のテーマは「箱根駅伝」。単位をもらえたことに感謝しつつ、当時の分別の無さを思うといたたまれなくなる。
卒業後は様々な職種を経験してきたが、やはり物を書く仕事に就きたいと、マコセへの入社を志願。オリジナル礼状を作成する中で、文章に「人の想い」を込めることの難しさに苦悩するも、それと同時に文章の持つ可能性の広さに改めて感銘を受けている。
最近は陸上観戦の熱が冷めた代わりに、自分で走り始めた。目指せ東京マラソン。
鹿児島生まれ鹿児島育ち。
高校卒業後、長く安定して働けると期待して入社した職場が6年ほど勤めたところでまさかの撤退。途方にくれ、行く先を模索することになった。
事務職を経て接客販売業へに就き接客の楽しさに目覚め始めるも、やはり自分のしたいことは違うような気がしていた。
そんな中マコセに出会い心を奪われ、現在に至る。休みの日には映画を見たり、ゲームをしたり、時にはカラオケでハッスルしたりして元気回復。
最初の職場で先輩方に鍛えられた「かごんま」弁には自信あり。
医療関係にあこがれて念願の病院勤務。色々な人間に出会い様々な人間模様に驚きつつ 心身を鍛えられ 充実した日々を過ごすそんな時 ふと マコセを見つける 偶然にも父の礼状もマコセで作成していたことに気づく鹿児島らしくない会社だなと思いつつ 新たな希望 可能性を求め 今に至る。趣味は散歩走ること いつかホノルルマラソンへ
短大卒業後、金融機関に8年間勤務。窓口の花からあだ花に変化する前に退社。運良く拾ってくれる勇気ある夫をゲット。3人の男子を出産し子育て、充実した数年を送る。夫の仕事上、引越し回数10数回、下手な業者よりも仕事が早いと自負している。やがて市内に落ち着き再び金融機関にパートとして再雇用され8年ほど勤務する。会社の方針により退職を余儀なくされ心ならずも専業主婦に。鬱々とした日々に見切りを付け就活、数字の仕事から一転、文字の世界に飛び込み今に至る。この仕事の奥の深さに驚き、感動を頂きながら精進している毎日。心に留めている言葉は ”明けない夜はない。”
一般事務で入社したはずが、数日のオペ研修の後なぜかご不幸広告の研修を受けることになり、そのまま営業に。「私利私欲ではなく利他の為」を座右の銘として、「お客様に喜んでもらう為に何ができるか」を考えて日々働いている。「スーツが似合う」とか「尾嶋さんは怖い」等と言われるが、それだけ真剣に働いているという自負はある。また、飲まなくても利き酒ができるほどの酒豪としても名を馳せている。酒器にこだわって日本酒を嗜む時も、普段使いのグラスで焼酎を口に運ぶ時も、いい笑顔で仕事をした後の一杯は格別。12歳の愛犬レアルのぬくもりを感じながらくつろぐひとときが、明日への活力となっている。
料理・映画・ファッションに興味があり渡仏を夢見た高校時代を過ごし、外語短大のフランス語専攻、大学のフランス文学科へ進むもアルバイトに明け暮れた4年間。卒業後、留学までしたものの結局、東京にてアパレルの会社に就職。
プレスを経てショップ勤務、休肝日ゼロの楽しい毎日を過ごし色々あって帰鹿。その後マコセに入社、ライターとして勤務も結婚・妊娠を機に退社。
約7年後、また雇っていただきサポートとして頑張っています。
高校卒業後、百貨店にて10年間勤務。
子供服を販売し、販売の楽しさを学びました。
同時に接客業の難しさ、大きな会社にいることの窮屈感を感じ転職することを決意。
新たな職場に求めたのは自分の仕事に誇りが持てること、職場の風通しが良いこと。色々な職種・企業のHPなどを拝見し、マコセを見つけ、スタッフの仕事に対する想い、会社の雰囲気の良さに惹かれここで私も働きたい!!と思い履歴書を送りました。
縁あって今私はここで働いています。
まだまだ足りないことだらけだけれどどうしたら皆仕事がしやすくなるか、自分がどう動くのが一番いいのか考えながら仕事をしている毎日はとても充実しています。
家電メーカーで営業事務の仕事をしていたが、結婚を機に退職。その後、飲食店で接客販売の仕事をし、第1子出産後にマコセに入社。子育てしながら仕事との両立は大変だけど、子供の笑顔が何よりのエネルギーとなっている。
第2子出産のため、産休・育休でしばらく仕事を離れていたが、復帰。この仕事のおかげで、漢字や文章に強くなった(ような気がする)。仕事中は座っている時間が長いが、自転車での通勤で運動をしている(ような気になっている)。休みの日には、子供と一緒に遊ぶことが一番の癒し。
トミカやレゴ、シルバニアファミリーなど、子供よりも、母親の自分のほうが集めたくて仕方がない。
中高と絵を描くことが好きで、もっと専門的な勉強がしたいと美術の専門学校に入学する。漠然と絵を描く仕事がしたいと思っていたのだが、専門学校で職業としてやっていくのは厳しいと知り断念。学校で紹介されたこの業界に入る。
マコセとはありがたい事にご縁あり入社。日々勉強の毎日。自分の今までの甘さを痛感してます。
休日はボーッとするか、海外ドラマや映画鑑賞。ネット配信という文明の利器に感謝する毎日。
子供英会話教室の事務をしていた私は、周りの影響もあってワーホリでカナダへ行こうと思い立ち、4年勤めた会社を退社。1年間の留学を経て帰国後すぐに結婚。
ぼちぼち仕事でも探そうかと派遣会社へ登録したところ「3ヶ月の短期で」と紹介され、こちらで働き始める。延長、延長で派遣で3年。その後パートとして直接雇用して頂き、気がつけばもう古株…。途中、妊娠・出産・育児のため、パートでは初の産休育休を取得させて頂き、復帰。
家事と育児では手抜きと失敗ばかりだけど、仕事では①基本を守って②迅速に③流れ作業にしない…を心に留めて校正にのぞみ、そして④優しい気持ちをもってサポートしていきたいと思う。
2016年度新卒としてマコセに入社。短期大学部時代には音楽療法を学び、その後、大学部へ編入学した。
就職活動では短大時代に学んだ音楽療法や福祉の知識を生かせるような医療・福祉の職場を探していたのだが、何気なく参加したマコセの説明会で、この会社と商品に一目惚れし「ここで働きたい」と強く思った。
働く方々も本当にいい人ばかりで出逢えたことに心から感謝している。
日々の業務では様々なことに挑戦させていただき、色々な力を身につけながら成長出来ていると思う。感性を磨き、もっといいものが作れるよう、そしてもっともっと戦力になれるよう自分に厳しく頑張っていきたい。
北の大地、北海道に産まれましたが、南国鹿児島の生活を満喫しています。寒がりだった私ですが、暖かい気候や温泉、耳に心地よい鹿児島弁、たまに飲む芋焼酎にも心温かくしてもらっています。そして、忘れてはいけないのは「鳥刺し」です。鹿児島で出会うまで、こんなに美味しいものがあるなんて知りませんでした。
札幌の広告代理店でデザイナー、東京の文房具メーカーでのプロダクトデザイン、出版社でのウェブ制作を経て、弊社ではパネル製作や写真加工を中心に携わっております。「写真」には多くの方の幸福な時間やメッセージが反映されています。それらに真摯に向き合い、皆様にお届けするお手伝いができるよう心掛けております。
大学時代の先輩の話を聞いてマコセの仕事に興味を持ちました。
元々文章をかくのが好きでしたし、地に足をつけて人の役に立つ仕事をしたいと考えていたので、是非挑戦したいと思っていました。
実際に入社してみての感想は、とにかく忙しい、ということです。
それでも、ご遺族の話を聞いて文章にまとめるのは、やりがいがあって楽しいです。
今は皆さんに手助けしてもらっていますが、早く一人前になって周りを手伝えるようになりたいと思っています。
高校卒業後、専門学校に通うため上京。資格を取得し、その地で仕事に就き数年。
その間、東日本大震災に見舞われ日常の尊さを痛感。”何かあった時に大切な人の傍へ駆けつけられない”という後悔をしたくないと思い生き方を見つめ直し、再び鹿児島へ。学生の頃より様々なアルバイトや職種を経験。書に携わる仕事に出会い文章が人に与える影響を改めて実感。そんな中、現在勤めさせて頂いている会社の”お礼状”を知り興味を持つ。千差万別の人生を表現することの難しさを感じながらも、同じ気持ちで一緒に作り上げていけるのは誇らしいことだと思う。へこたれない強さを持つ!をモットーに日々邁進。菓子に目がなく新しいもの好き。趣味はカメラ片手に散歩。
小売店・某大手飲料メーカーの営業事務を経て、新聞社に勤務。
「遡及」という独特な業務を経験する。読むのは簡単でも実際は時代に伴う言葉の移り変わりや人権や著作権など様々な制約があり、一歩間違うといち個人の名誉が半永久的に傷つけてられてしまうということ。それだけ紙面の影響力は大きいことを学んだ。
これまで文字を扱う仕事をしたことがなかったが、ご縁がありマコセに入社。日本語の難しさと自分の読解力の未熟さを日々実感する。心掛けていることは、「平常心を保つ」 「曖昧さを受け入れられる大人になる」長所は好奇心が旺盛。短所は飽きっぽい。
物事を継続できる忍耐力を養うことが私の生涯の目標。
金融機関、花屋勤務を経て、マコセへ入社。マコセ?何の会社だろうと思い、検索。HPを見て衝撃を受けた。このお礼状、見たことある!何年か前、父が参列した葬儀で配られていたお礼状。私は全く面識のない方だったのだが、あの感動を忘れられないでいた。絶対にここで働きたい!その想いが通じたのか、縁あって入社することができた。今まで全く知らなかった葬儀の世界。時間はタイトで常に追われる日々。でも、進歩、成長、変化できる場所。忙しい中、注文して下さる葬儀社様、そして何よりご遺族の方の為に自分にできること、自分にしかできないことを模索中。
誰が正しいかではなく、何が正しいのかを考え、行動するようにしている。
映画館の雰囲気が好きで、バイトとして勤務。ポップコーンなどを販売し、接客業の難しさを覚えた。その後、年金関係の仕事をし、そこでは個人情報の取り扱いについて厳しさを知った。電話会社のコールセンターにも勤務し、苦手な電話応対を頑張っていた時期もある。小さい頃から「先を見なさい、2歩も3歩も先を考えない」と言われ育ち、今でもその癖は健在。
末っ子だからか、人間観察が好きでそのお陰か視野を広くするようになった。
月イチでネイルを変え、4年程加圧にも通い、季節ごとに花やイルミネーションなどを見に出かけ気分転換。今まで就いた仕事が今のマコセでの仕事に繋がっている。どこにいても自分らしさを忘れないように歩いていく。
平成最後の新卒としてマコセに入社。
趣味は、カメラを首からぶら下げ、行き先を決めずにのんびり歩くこと。
大学では経済学やメディアについて学びながら、テレビ局カメラアシスタントのアルバイトを四年間続ける。
就活では公務員勉強に力を注ぐも…何か違うと感じ、進路をぐるっと変更。
そんな矢先にマコセの説明会で礼状や映像を見て感動し、こういうものを作りたい!と心に決めた。
フューネラルに関わり故人様の人生の物語を見聞きすることで、自分自身も成長し、人に優しくなれると思う。
これからどんどん経験を積み、ご遺族も故人様も幸せな気持ちになれるような、ずっと宝物にしたくなるようなものを制作していきたい。
旅行や空港の雰囲気が好きで、旅行会社へ就職。お客様からは、何故か「初めて会ったとは思えない」といつも仰って頂いた。素敵な方々との出会いに恵まれ、貴重な経験をし、約7年勤め退社。医療関係へ転職しアロマセラピーアドバイザーの資格を取得。ホスピタリティ推進委員として活動するなかで、周りを思いやる気持ちやコミュニケーションを取ることの大切さを学んだ。マコセを知り、職員がキラキラと輝いていてパワーのある会社だと感じた。今まで学んだことを活かし、日々忙しい中でも、常に周りを気遣える人になりたいと思っている。年齢に負けないよう、マコセに入社したと同時に習い始めたドラムで脳トレ中。
「ミスなく迅速に」をモットーに、日々業務に打ち込む経理ウーマン。心がけているのは、段取りを考えて早目早目に準備を進めること。細かなミスも逃さぬよう、チェック作業にも力を入れています。
これを表の顔とするならば、裏の顔は知る人ぞ知る20年来のGLAYファン!
「HAPPY SWINGER」らしく日本全国のライブに出没しております。
夢は10年後のヴェネツィアライブに行くこと!その軍資金を貯めるのが今の目標。
カラオケのレパートリーは、半分はGLAYで半分はアニソン。辛いものと運動がキライ。人からは声がかわいい、怖い、A型らしいなど色々言われる、ツンデレのデレなし属性。
わたしが人生を終えたら残った人たちはどんな言葉でわたしのことを語るのだろう、とよく考えます。少ない言葉の中にその人の生き様すべてが表されるわけではありませんが、今を生きている方々の思いを言葉の力によって確かなものにし、そしてこれからの一歩を踏み出すための一押しが少しでもできますよう、お手伝いさせていただきます。
感情が表に出やすいため、好きだった接客業から事務中心の仕事に転身。日中の9割をパソコン相手に過ごすようになる。やがてエクセルの魅力に取りつかれ、関数を勉強したりマクロで簡単なドット絵のアニメーションを作成したりしていた。現在、その情熱は校正業務へと注がれている。テレビのテロップに間違いを探すようになったのが最近の悩み。校正の際は、お礼状の「受取人」の立場に立って文章を読むこと、そして、お礼状は「商品である」という意識を持つことを心掛けている。文法や言葉の持つ意味など、寄る辺となる知識を増やすべく日々精進中。
学ぶことの多さに気が遠くなることもあるけれど、表現ひとつ、文字ひとつとってもより良いものを相手に届けたい。作成に携わる誰もが気持ちは同じだと信じて、今日も赤ペン片手に頑張ります。
若かりし頃は歴史学の研究者を目指していたが、色々あって途中下車。
人より数年遅れて就職活動を始めるも、書類審査は通るが面接でことごとく落ちるという憂き目にあう。たまたま派遣会社で校正の職を紹介されて以来、校正畑一筋に歩むことに。ますますつぶしがきかない経歴になってしまったものの、黙々と文字を追う仕事はシャイで人見知りな私にとっては天職なのかもしれない。
推理小説やSFを読んだり、ネコの画像を見るのが好き。ネコのように雄々しく自由に生きたいと思う。引退したらロッキングチェアに揺られながら読書三昧の生活を送り、ネコさまたちとともに穏やかに暮らすのが夢。
鹿児島の出水市出身です。前職はホテルのフロントで働いていました。学生時代、夏休みの作文で「今年はどんなことを書こう!?」とワクワクする子供でした。「最後の手紙」のお手伝いが出来るよう、ご遺族の方に一言一言心を寄せたいと思います。
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